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~~または私は如何にして遠慮するのを止めてネコ型ロボットを愛するようになったか~~
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2007.12.05 Wed
なんですか、最近「恋空」ってゆータイトルのケータイ小説(笑)がどういうわけか書籍、映画共に大ヒットしてるとか聞きますが、


F速VIP(・ω・)y-~ 「恋空」があまりにも酷い件について

↑ここに載ってる大まかなあらすじと原文の一部抜粋を読んでみても、これの一体どこら辺にそこまでヒットするほどの魅力があるのかが私にはさっぱりわからんのですが。

それでもまったく原文を読みもしないで批判するのもどうかと思い、先ほど魔法のiらんどに行って数ページ程読んでみたところ、わかったのはブレスケアフィルムもびっくりの薄っぺら文章だという事でした。


あの小説(にすらなってない文章)を読んだり映画を観たりして、心から感動した~!泣けた~!という感想を持たれた方は、いったい何をどうしたらそんなに感動できちゃったりするんですか。
すごい真剣に不思議なのですが。おしえてアルムのもみの木よ。



こういう風に、多くの人が「この作品で感動した」という反応を持つ図式に「???」の嵐になってしまった事が、私は以前にもありました。

チェーンメールを元にした、「ドラえもん最終話」の同人コミックがネット上に出回っていた時です。
(2005年12月26日のエントリ。あ、もう2年近くも経つのね)


この「最終話」同人コミックに関して、少し前に話題になっていた権利関係がどうこうという話は別の話になってしまうのでこの際置いておくとして‥


私が実際にこの「最終話」を読んでみての感想は
「パロディ作品として、とても良くできているなぁ」
であって、それ以上でもそれ以下でもなかったです。

以前の記事にも書きましたけれど、絵柄は良ーく似せてあるし(それでも本物との見分けはつくけど)、内容的にも藤子・F・不二雄先生の作品へのレコメンドが感じられて、パロディとしての質が高いという点では感心しました。
ですが、感動というほど心が動かされはしなかったです。


ところが、当時あちこちに転載されていたこのマンガに対する世間の感想のほとんどは
「泣けます!」
「号泣しました!」
「ハンカチを用意して読んでください!」

といったのばかりじゃあないですか。
え??え??みんなそんなにコレ読んで本気で泣いちゃったり心動かされちゃったりしてんの???
むしろ自分が感動も泣きもしないことに、私の感覚の方がおかしいんじゃないかと不安になってしまったほどです。

(ほらアレですよ、周りがみんな『オヤジ・ロック』を購入してますよとセールスマンに言われると、持ってない自分が不安になっちゃうみたいな、あの心理。)

ましてやアレをF先生が描いた本物と勘違いする人までいたとか、もうね・・・・!!




で、今あらためて、私がドラ最終回マンガに心動かされなかった理由を「恋空」に対する感想と合わせて考えてみたところ、

それはおそらく、書き手側の「こういうテを使って読み手を感動させてやろう」という意識を感じとってしまったからではないかな、と。


ケータイ小説(笑)って、レイプ・妊娠・ドラッグ・不治の病・死etcが書かれていれば成り立つんじゃねぇの、といった揶揄のされ方をよくしますけど、それは要するに、なにかと非現実な要素を散りばめて読み手の心を動かそう、という書き手の意識が見え見えになっているという事に他ならないわけで。

恋空で言うと、
「『レイプ被害にも揺るがない愛』
『不治の病に冒される恋人』
『奇跡的な状況で妊娠するヒロイン』
こうした"感動的な要素"を散りばめておけば読み手は感動してくれるであろう。」

という意識が見え隠れしている。
だから、なんかそこには薄っぺらいものを感じるんですね。


あの「最終回」は、元のチェーンメールにしてもマンガにしても、あらかじめ「読み手を泣かせる。感動させる。」事が大前提になっている。

「『泣きながら強がりを言うのび太』
『幸せな結婚をするのび太としずか』
『大人になっても変わらない友情』
こうした"感動的な要素"を散りばめておけば読み手は感動してくれるであろう。」


もしかしたら私がひねくれてるだけなのかもしれないんですけど、感動や泣きが前提になっている事に一度気づいてしまうと、どうしてもそこで一歩引いたというか、醒めた視点でしか作品を見られなくなるようです。

※ただ、ドラ最終回マンガは二次創作コミックとしての完成度はそれなりに高いのに対し「恋空」はストーリーも文章も破綻しまくっているので、いっこの「作品」の質としては雲泥の差だと思うよ、ってことだけは付け加えておきます。※



ちなみに私は、藤子・F先生の作品を読んでホロリとさせられることは(何度も読んだ作品であっても)しょっちゅうあるのですが、そこに感動させてやろう、泣かせてやろう、といった書き手の意識を感じとったことはほとんどありません。

この感じ方の違いはいったいどこからくるのでしょうね。
そこはやはりストーリーテリングの巧みさなのか。それともF先生のお人柄が書き手としての余計な意識を感じさせないからなのか。
【タグ】  ドラえもん  映画  
楽来一知
はじめまして、楽来一知と申します。

僕は、このケータイ小説に関してはネットの酷評ぐらいしか知らないので深く突っ込んだりはしませんが、周囲の状況を見てみると、どうもロンドンハーツの芸人に缶詰め状態になってもらって小説を書いてもらうドッキリ企画に似ているなあと思いました。
そこで品川庄司の庄司さんが書いた(奇しくも彼もケータイで書いていました)「花のことば」が「感動した」「泣ける」と好評だったそうなので、雑誌に掲載、はては本まで出されたそうです。
このドッキリ企画についてはリアルタイムで見ていたんですが、正直「雑誌に載せるほどのものか?」と思いました。
番組内での企画だけだったらOKなものの、やっぱりストーリーのつじつまが合ってなかったりと、いろいろなところで穴が見えて、なんでこんな話がそこまで持ち上げられるんだろうと思いました。むしろ安田大サーカスのクロちゃんとかみたいに、ストーリー破たんが一周してある意味すごいと思える小説のほうが、ネタ的にはいいのではないかと。
そしてやはりこれも、管理人さんの書かれていた通り、庄司さんの意識が見え見えでした。
「全日制の生徒と定時制の生徒が正体を知らぬまま机の落書きでやり取りする」ことで、ふしぎな出会いを書くぞ!!とか、
「全日制のヒロインが定時制の生徒の正体に気づくのは、彼が事故死してから」ってのを書くことで、悲劇性を持たせるぞ!とか、
なんだか先が見えてしまったような感じがしました。
当時はひょっとすると自分だけかと思っていたんですが…やっぱりこういうのって、生半可な技能ではできないものだな、と思いました。

まあ、ケータイ小説ブームは、あくまでブームである、ということで、いつかそのブームも終わるだろう、とも思っていますが。
2007.12.06 Thu 03:06 URL [ Edit ]
ロマ子@管理人
ロンドンハーツの企画というのは私は知りませんでしたが、ストーリーテリングのプロでない人が、小手先的なテクニックで"泣かせる"お話を作ろうとする図式は似てるみたいですね。

ケータイ小説にしてもTVの企画にしても、プロフェッショナルの作家さんが作るお話のほうがずっと完成度が高くて洗練されているはずなのに、素人が小手先で作った"安い"お話でたくさんのお金が動いているって事が、面白くないなぁ!というのが私の正直な感情ですw
2007.12.08 Sat 15:44 URL [ Edit ]
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